海洋基本法への海洋研究者からの提言
日本海洋学会
(2007.9.27.評議員会承認)
我が国の海洋関係者が長年望んでいた海洋基本法が2007年7月に施行され、国としての統合的な海洋政策を推し進める行政機構が内閣に出来、そこで海洋基本計画が策定されようとしている。まずこのような海洋に関する基本法が出来たことは、我々海洋の研究・教育者の大きな喜びであり、基本法の制定に努力された関係各位に深く感謝したい。
基本法の第4条にも謳われているように海洋の大部分は我々人類が直接アクセスすることが困難で地球システムとして生態系を含む多くの現象への理解が未だ乏しい世界であり、海洋は地球上で残された最後のフロンティアと呼ばれる所以である。一方で、この海洋の健全な環境の維持とその資源の持続的な利用は人類の未来を支える大きな基盤となっている。従って海洋に関する様々な施策を進めるためには、海洋の持つ地球システムとしての多面的な応答がどこまで理解されているか、すなわち論議を進める時の「科学的な論理」はどの施策を立案するにあたってもその根底をなすものである。また、ある施策に対する海洋の応答が現段階でどこまで知られているかを、市民が充分に理解することが市民による施策への評価の基になる。このように海洋に関わる不断の研究の取り組みと得られた知見の社会への速やかな還元が海洋に対する施策を進めていくための車の両輪として機能させることが海洋基本法では求められている。
わが国の海洋の研究者・教育者は、海洋に関する研究・教育を各専門分野で積極的に進める一方で、これまでも様々な形で海洋に関する政策に関与してきた。しかし、今回の海洋基本法の制定を契機に包括的な海洋政策のもとで海洋立国を目指す日本において、海洋に関する研究・教育とこれらのわが国における海洋政策との結びつきはさらに重要になってくると我々は信じている。わが国の統合的な海洋政策の観点から、我々、海洋の研究・教育に携わる者の主体的な努力とともに、わが国における研究・教育に関する様々な環境整備が今回の海洋基本法の制定を機会に行なわれることを強く希望している。このような観点から以下に具体的な提言内容を取りまとめた。
(1)海洋に関する知識の伝達手段としての初等・中等教育の強化:
海洋は直接的・間接的にわが国の国民生活に大きな影響を持っているにも係わらず、海洋に関する科学的な知識は一般に乏しい。これは初等・中等教育において海洋の知識が体系的に教えられておらず、さらに、中等教育で海洋の科学は理科の地学の一部として教えられているために、現在の海洋の物理から生物まで理科のすべての分野に関係する海洋科学と対応していない。中学校、高校における理科教科などの見直しが必要である。
(2)総合的な海洋科学を推進する人材を育成するための大学院の創設とその充実:
水産や水路観測と言った実学からスタートしたわが国の海洋の研究は、それぞれの分野で顕著な成果を挙げてきた。しかし、海洋の研究者が多くの学部・学科・大学院に分断された状態は変わらず、海洋で起きている様々なプロセスを地球システムの大きなまとまりとして統合的に理解しようとする近年の海洋科学の世界的な潮流に対し一歩遅れた状態になっている。また海洋の総合的な管理のためには自然科学だけでなく、海洋に関する法律、社会システム、人々の暮らしといった総合的な学問での取り組みが必要であるが実現していない。このようなわが国の海洋研究の組織的な問題は、縦割りの行政機構とも密接な関係を持っているが、海洋政策を一元的に進める海洋基本法のもとで海洋の総合的な学問研究を担い、人材を育成する総合的な大学院を創設し、拡充すべきである。
(3)海洋の基礎的な研究へのバランスのとれた研究投資の必要性とその充実:
基礎的な海洋の学問は陸における分散化した全ての学問に相当するほどの総合的な学問であり、自然科学のみならず、社会科学、人文科学にも広がっている。海洋基本法で謳われる海洋の統合的な管理においてはこのような視点が特に重要である。すなわち、幅広い海洋の学問のそれぞれの分野が深化を図りながら、相互に繋がっていくことで海洋に対する施策に役立つ「科学的な論理」がより確固たるものになっていくからである。従って、基礎的な海洋研究においては、このような視点に立ち長期的に全体のバランスの取れた研究投資を進めるべきである。
(4)地球環境に対する海洋の役割の理解の深化とそのための研究体制:
海洋が陸域を含む気候変動などの地球環境を大きく支配していることが最近の研究で次第に明らかになってきた。全球海洋での深層循環や炭素循環など、物理・化学・生物・地学及びこれらの複合したプロセスの理解が地球環境の維持の前提であることは言うまでもない。このためには、プロセス研究、海洋モニタリング、モデル予測など、全海洋における総合的な海洋研究を密接な国際連携のもとで推し進めるための長期的な研究体制の構築が必要である。
(5)沿岸域・縁辺海などわが国の200海里における長期的な海洋調査・研究体制の確立:
海洋、特に沿岸域での環境とそこにおける生態系の保全・修復に関する研究・技術開発の促進は、沿岸域に大部分の人口が集中するわが国にとって極めて喫緊の課題である。また、西部太平洋を中心とした長期海洋観測は地球温暖化などの地球環境の変化の実態を示す貴重はデータとなっているが、国連海洋法によって200海里内の経済水域における海洋の基礎的な調査は沿岸国の義務となっている。一方、わが国の調査・研究機関が地道に継続してきた主に調査・研究船を用いたこれらの調査・研究は予算削減によってむしろ縮小されている。早急にわが国・および近隣諸国にとって必要な長期観測・研究体制を研究調査船などその研究基盤を含めて確立し、その実行を図るべきである。
(6)生物資源の持続的かつ高度な利用を目指す水産研究および沿岸保全との両立:
わが国の食料源・蛋白源として海洋の生物資源は極めて重要であるが、これまで科学的な見地に基づかない漁業や沿岸域の開発によって、多くの生物資源は世界的に枯渇し、沿岸域の汚染が進行してきた。生物資源の自然変動や人間活動の影響を総合的に評価することで科学的な見地による生物資源の持続的かつ高度な利用と沿岸・海洋生態系の保全が両立するようにすべきである。